どうして緑色なのに「青」汁?

■「青汁」とはいつから「青」に!?

古くは約1000年前の日本最古の医書「医心方」にも登場する「搗汁、擣汁、杵汁」と呼ばれるいくつかの植物の汁。
実は、歴史の記録に残るものとしてはこの後「緑」「青」「緑」と近年まで変遷しながら、人々の生活のなかで健康に役立っています。
なぜ緑汁ではなく青汁なのかその歴史を振り返ってみましょう。

■現在残る最古といわれる植物の汁療法

約1000年前のものとされる、日本最古の医書「医心方」には、植物の葉を絞って造られた、健康に効果の高い汁「搗汁、擣汁、杵汁」などの記述がみられます。
これらは現代で言う病気を治すための薬に代理する古い治療用のアイテムとしてのもので、栄養失調などをもとにする症状の改善などに広く使われていたのではないかと言われています。

■第二次世界大戦から戦後にかけては「緑葉末油煉」

現在各社から発売されている、さまざまの野菜や植物の汁を組み合わせて、保健的に食生活をサポートする「青汁の原型」。
その概念と実践が初めて広く見られたのは、昭和18年、戦中を経て、戦後、栄養状態が悪い時期が続く日本人の保健面改善を目的として、医学博士 遠藤仁郎先生が青菜やその他野菜を絞り、その汁を組み合わせてつくった『緑葉末油煉』にあるといわれています。
(※文字としては油ですが、実際には湯に浸す、当時としては比較的斬新な加工方法をとっています)
この時は当初「緑」でした。
戦後の焼け野原にある日本人のもとに、まだ比較的環境に恵まれ、山野草などからの原料確保ができた地方からの健康増進用の提案は、広く受け入れられ、棄てられてしまうことが多く、さらに野菜としての生産に対して廃棄部分の生産効率が高いことでも知られるこうした部位の利用のアイディアは口コミでも各地で広がり続けました。
また全国各地の学校で青汁を用いた給食などが供されていた時代があり、さらに当時の婦人誌各所での特集などもあり全国的なブームを巻き起こしました。

その好評を受けて、さらに海外の文献なども含めての研究が続けられ、昭和29年、現在同継承組織で販売されているような「ケールを原料に含み葉物野菜や野菜を組織ごとすりつぶした汁」が出来上がりました。

■新しくできた汁に「青汁」と命名

当時は「青汁」のための団体を創始した遠藤先生。
この「青汁」の名はヒナ子夫人が命名された名前。
ここで初めて、現在、先進的な外国人の間などでも知られる国際語でもある「AOJIRU」が登場しています。
この前後に、全国的ブームから多数の書籍を執筆出版。
質素な汁に見えて、保健栄養面でも、当時よくみられた疾病関連でも優れた効果があることが口コミでさらに伝えられていきました。
もともととてもミニマルな自然に親しんだ暮らしをされる先生の下で、職員や後輩たちが、ガリ版による普及から社会奉仕的に広がりをみせ、大ブームとなったものです 自らが青汁の効果を知り実践する人が、その後組織を支え、現在も先生が終戦前から勤務されている倉敷中央病院では、この青汁を飲む多くのスタッフがあります。

■平成の新汁は、こだわりをもった「緑汁」

前述の遠藤先生は京都大学医学部出身でしたが、平成の新汁は東京大学からスタートしました。
東京大学農学部に在籍していた学生が1998年学外活動で、バングラデシュを訪れ、同学部内の別の学生との協働で企業を立ち上げました。
ミドリムシ(学名ユーグレナ)を大量培養することによる食糧問題と環境問題へのアプローチ、その後、人の健康と環境のための様々な技術開発と販売を行っています。
現在まで、さまざまの大学の幅広い世代の研究者の参画もあり、また一時は国策的な大規模なリサーチや研究会などが行われていたこともあり、その培養、マクロ的あるいはミクロ的なサービスや製品への利用などに期待が集まっています。
企業が製造販売してるのが、大麦若葉とユーグレナをベースにした青汁である「緑汁」 とくに原材料が国内石垣島で培養されているということもあり、消費者にはそのカラーである「緑」が安心の色としてとらえられており、普通の青汁ともまた一味違う存在として印象付けられています。
東京大学の緑汁に対して、京都大学の青汁、そして農学から金融、幅広い製品サービス提供の緑汁に対して、シンプルでミニマルな生活やシンプルな食生活を元にした青汁。
現代となっては、大学のカラーとしてどちらの色合いが正しいのかさえまるで逆のような雰囲気すらありますが、ひとに役立ちたい汁の色としては、2000年を超えて、こうした国内での展開が見られます。
味としては大麦若葉が優っている味わいですが、健康効果としては、比較的あたらしい雰囲気を秘めており、コンビニエンスストアでの各社のユーグレナ関連製品からのユーザーなども多くみられています。
自分にあった青汁を選びましょう。